同窓会

菊花薫る季節になりました。

文化の日の3日、府中小学校6年の時のクラス会に行き、府中町内にお住まいの先生を囲んで、総勢13人、四方山話に花を咲かせました。

府中小学校から府中南小学校が分かれて独立する頃でした。周りにはまだ田んぼがたくさん残っていて、そこから食用ガエルを取ってきて電気でビリッと筋肉が収縮する実験をしたり、砂糖から飴を作ったり、楽しい理科の授業でした。

一クラスに50人程度だったと思いますが、今は東京など他県に住んでいる人も多く、「娘の結婚式があり多忙なので」とか「親の介護があるので」という近況報告を添えて不参加を伝えてきた方もおられました。

最近亡くなった友の思い出や、お互いの近況、子や孫の事、世の中の事等々、顔を見れば自然に打ち解けて、心置きなくしゃべれるのが同窓会のいいところです。

このような場を計画してくれた幹事の皆さんに感謝しています。

 

 

 

 

 

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安芸地区学校保健大会

昨日は、第54回安芸地区学校保健大会が「くすのきプラザ」で開催され、出席しました。

昭和33年4月に「学校保健法」が制定されましたが、その前年の昭和32年11月に海田市小学校で第1回の安芸郡学校保健大会が開催され、それから半世紀以上が経ち今年は54回を数えるまでになりました。

安芸地区医師会100年史を紐解きますと、昭和32年当時の皆川会長は「日本の将来を背負っていく子供を、心身共に健やかに育てていくことが、学校保健の原点だ」と語っておられます。

最近は、インターネットや携帯電話・スマートフォン等、子供を取り巻く社会環境や生活様式が著しく変化・進化していて、子供たちの心や体に様々な影響を及ぼしています。

今年7月に厚労省は、平成25年度~35年度までの「21世紀における第2次国民健康作り運動」を公表しました。生活習慣・社会環境の改善を通じて、子供から高齢者まですべての国民が共に支えながら希望や生きがいを持ち、ライフステージに応じて、健やかで心豊かに生活できる活力ある社会を実現し、社会保障制度が持続可能なものとなるよう、国民の健康の増進を図る、という内容です。

私たちも、なお一層お互いに連携を図り、子供たちの健やかな成長を推進することが重要だと感じました。

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iPS細胞の山中教授にノーベル賞

10月8日に、京都大学山中伸弥教授のノーベル生理学・医学賞の受賞が発表されました。

一昨年(平成22年)に第9回日本再生医療学会総会が広島で開催されました。その際、3月19日、山中教授のSYINYA YAMANAKAレクチャー「iPS細胞の可能性と課題」があり、私も聴講しました。会場は立見席が出るほど盛況でした。教授はiPS細胞の腫瘍形成について述べ、新しい研究棟は壁を取り払い、上下の階にも自由に行き来できる施設で、5年以内に臨床応用を完成させると講演されました。

高校(柔道)、大学(ラグビー)で骨折を繰り返したことから整形外科医を志望されたという事に、親近感を感じます。しかし、手術等が苦手なため臨床医はあきらめ、基礎研究の道に進んでこの非凡な力を発揮されたのには、本当に人生とはわからないな、と思います。

一昨日(10月21日)もNHKスペシャルで「iPS細胞革命」と題して放送されていましたが、発想の原点を追跡し、また再生医療や難病治療・新薬開発につながる研究が次々と行われ、今後医療現場は激変することでしょう。

「多くの難病の患者さんを救いたい」という崇高な志の下に、若き研究者達を結集して、ますますご活躍されることを祈念したいと思います。

 

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ロコモティブシンドロームについて

10月8日は「骨と関節の日」です。

これは1994年(平成6年)に日本整形外科学会が、「十」と「八」を組み合わせると「骨」の「ホ」の字になることから、10(十)月8(八)日を「骨と関節の日」と制定しました。

また10月は「骨と関節の月間」でもあります。10月10日の「体育の日」を前にして、整形外科が行っている医療の内容を国民の皆様によく知ってもらい、骨と関節を中心とした体の運動器の健康が、体の健康の維持に如何に大切であるか、日常生活で注意していただきたいと考えたからです。

日本は世界一高齢化の進んだ国で、今年9月15日現在65歳以上の高齢者の人口は3,074万人で、総人口の24.1%となり、人口・割合ともに過去最高となりました。超高齢社会に入った2007年に日本整形外科学会は、ロコモティブシンドローム(運動器症候群)という、「運動器の障害」により「要介護になる」リスクの高い状態になる概念を新たに提唱しました。

2010年の厚生省の調査によると、要介護の原因のトップは運動器疾患(骨折、関節症など)で、次いで脳卒中、認知症という順番になり、健康寿命を延ばす、即ち要介護期間を短くするためには、運動器疾患による寝たきり防止、ロコモティブシンドローム対策をすることが重要です。

今年も10月14日に中国新聞社ホールで「運動器の10年・骨と関節の日」を開催しますが、今年度のテーマは「ロコモティブシンドロームの要因としての骨折の予防と治療」です。メタボリックシンドロームに比べるとロコモはあまり知られてませんが、皆さんに広く認知してもらい、健康寿命を延ばしていただけるよう、取り組んでいきたいと考えています。

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ホームページリニューアルしました

スガタ整形外科のホームページをご覧頂きありがとうございます。
この度、ホームページをリニューアルしました。
これからもよろしくお願い致します。

ホームページURL : http://sugata-seikei.jp

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海援隊と岩崎彌太郎と麒麟ビール

 私の住んでいる府中町にあるキリンビールの醸造所「キリン広島ブルワリー」が8月末で閉鎖され、72年のビール製造の歴史を閉じた。この麒麟ビールも三菱財閥である。

 昨年9月、三菱の第二代社長岩崎彌之助の建てた三菱一号館が一世紀を経て煉瓦造り、石造りで構造、間取り、素材や意匠等、できる限り明治時代の竣工当時のままに復元・再建され公開されたが、その三菱一号館美術館が今年4月6日東京丸の内にオープンした。会館記念展(Ⅰ)「マネとモダン・パリ展」は7月5日まで開催され、美術館記念展(Ⅱ)「三菱が夢見た美術館」~岩崎家と三菱ゆかりのコレクション~は、現在開催されている。

 私が訪れた9月半ばは、三菱財団の所有するミレー、ルノワール、ドガやモネの絵画の展示、そして三菱の静嘉堂文庫、東洋文庫所蔵の絵画(黒田清輝、安井曾太郎、梅原龍三郎、岸田劉生、坂本繁二郎等)や陶磁器、書画骨董も出展されていた。残念ながら国宝の曜変転目茶碗(稲葉天目)は他の展示会に出されて今回は鑑賞できなかったが、数奇な運命を辿った唐物茄子茶入・付藻茄子(松永茄子)は出展されていた。書籍では毛詩、文選集注などの国宝や、マルコポーロの東方見聞録、デフォーのロビンソン・クルソー漂流記、あるいは16世紀の世界地図に混じって、ヨハン・アダムス・クルムのターヘル・アナトミアと杉田玄白の解体新書(1774)が並列されて陳列されていた。ターヘル・アナトミアには、今まさに解剖が始まる場面が描かれており、当時のヨーロッパでは解剖は見世物の一つであった。

 展示の中に、海援隊が出版した英語教科書『和英通韻伊呂波便覧』を見つけた。10月10日のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の「さらば高杉晋作」の中で、ヒーローの龍馬と対峙する岩崎彌太郎は、亀山社中が海援隊と名を改めた際に、経理担当となったことを隊員の皆の前で披露し「後藤象二郎様に感謝せよ」と口上を述べている。史実では、この時が彌太郎と龍馬との最初の出会いといわれている。『和英通韻伊呂波便覧』は和英対照・発音入門ハンドブックである。海援隊士たちが商売で得た知識と経験から万国公法(国際法)をはじめ、商売に役立つ政治・法律・経済などさまざまな技術情報のイロハを書籍にして出版する準備をしていたといわれ、この便覧はその一つである。「いろは丸事件」では、龍馬はこの万国公法の知識を遺憾なく発揮して8万3千両の賠償金を得た。しかしこの本が出版されたのは、1867年11月15日龍馬が暗殺された後で、海援隊が解散させられた1868年4月27日のわずかな期間であり、龍馬の遺志を継ぐ第2代海援隊隊長・長岡謙吉をはじめとする隊士たちにより出版された。海援隊はその後土佐商会が引き継ぎ、彌太郎は九十九商会・三菱商会・郵便汽船三菱会社(後の日本郵船株式会社)・三菱商事など、三菱財閥を興し、明治期に日本の近代化、西洋化とともに政商として成長していった。

 今回の会館記念展(Ⅱ)では「人の中へ 町の中へ」と題して、日本郵船や大正から昭和の麒麟麦酒のポスターも広告デザインとして展示されている。1869年(明治2年)ノルウェー系アメリカ人ウイリアム・コープランドが、日本で初めて大衆向けにビールを醸造・販売した企業「スプリング・バリー・ブルワリー(コープランドビール)」を起源とする、日本のビール事業の草分け的企業を、幾多の変遷を経て、1907年(明治40年)に三菱財閥傘下の日本国籍会社「麒麟麦酒」として新発足している。府中村から府中町になった翌年、1938年(昭和13年)に府中工場はビールの醸造を開始している。当時その工場は東洋一であったという。72年にわたり府中町を支えて来たキリンビールの灯が消えたが、時代とともに変革してきた三菱・麒麟は現在大型ショッピングセンターとして多くのお客を迎えている。風向きによって漂っていた、あのホップの匂いが懐かしく思い出される。

菅田 巌

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